尾崎紅葉事典
時代を賑わせた『金色夜叉』への熱狂
近代文学誕生前夜を率いた
明治の大作家の軌跡をたどる
かつて近代文学史のテキストに〈紅露逍鷗〉という用語がしばしば登場していた。
確かに明治二〇年代初頭から明治三〇年代後半に到る時代は日本の文学や文化が近代的に整備されていく過程での混沌そのものだった。
誰もが〈近代〉を求めて、その幻影を実体化すべく悪戦苦闘せざるを得なかった。
〈紅露逍鷗〉とて例外ではなく、それぞれ、もがき苦しみ、挫折や中断を余儀なくされたのである。
その中でも最も苦闘し、ついには中途で生そのものをも犠牲にせざるを得なかったのが尾崎紅葉であった。
この紅葉の悲劇は後の文学的評価となって文学史に定着することとなった。
紅葉が短い生涯の中で情熱を傾けたさまざまな文学的行為は、逆に現代においてこそその可能性を輝かせるのではないか。
──────「はじめに」より