7800円+税

A5判上製・832頁

ISBN978-4-87737-410-5(17・5)

生誕150年 殁後100年 記念出版

本辞典が掲げるすべての項目は、漱石が現実に用いた言葉であり、
漱石が確かに実見し、手に取り、
触れたことのある書物や芸術作品ばかりである。

 

発刊によせて

 21世紀を生き抜いていくためには、19世紀と20世紀を生き切った夏目漱石の言葉が、私たちとともに存在していなくてはならない。しかし漱石の言葉は、「近代」における科学と技術の進歩に基づく産業資本主義と、それと連動した、合理主義や世俗主義、あるいは個人主義や自由主義などの学知に縛られた状態に置かれていることが多かった。

 いまを生きる私たちは、未来を生きる者たちに向けて、漱石の言葉を解放したい、と強く願う。

 私たちが現在使用している近代日本語の語彙と文体の多くは、漱石によって創生された。漱石が発した言葉の一つひとつと向かい合うことで、日本社会が近代化していく在り方を、制度、思想、風俗、生活から身と心にいたるまでの射程で位置づけていきたい。私たちが日常的に使っている日本語と日本語文を、あらためて漱石に遡って捉え直すことは、言葉の生命そのものと向かい合うことになるだろう。

 

推薦文 水村美苗

未来に向けて、
「漱石の言葉を解放したい」
という宣言を掲げた辞典

 

 文豪の運命は、いつも危うい分岐点に立たされている。巷でその固有名詞が広く流通していても、その実、猫背の老学者にしかその著作が読まれることもなくなるか。あるいは巷でその著作自体が流通し続け、若者、いや、少年少女にさえにもそれが読み継がれるか。文豪についての辞典を編纂するとなると、この分岐点に必然的に関わらざるをえない。このたびの「漱石辞典」が際だっているのは、このような辞典がもつ責任、すなわち、それが文豪の運命を何らかの形で左右しうることに十二分に自覚的なところにある。
 未来に向けて、「漱石の言葉を解放したい」という宣言を掲げた辞典なのである。
 偉い人物は、周りの者がその人物を敬うに従い、ふつうの人から遠い存在になっていく。しまいには、哀れ、神様にされてしまったりする。文学の良いことは、どんなに偉い作家であろうと、その作家の言葉にじかに戻っていけることにある。漱石をめぐって過去にどんな言葉が費やされていようと、私たちは漱石の著作に戻っていくことができる。漱石をめぐるさまざまな言葉から漱石の言葉を解放することができるのである。その時、最初からそこにあった、信じがたい豊かさが新たに見えてくるのである。漱石が発した言葉にとことん拘って編纂された「漱石辞典」は、その導きの書である。

 

推薦文 姜尚中

漱石がいなかったら、近代日本は
何と貧相に見えることだろう
奇跡に近い共同作業の成果

 

 明治以降の日本が抱え込んだ近代という時代の生理と病理に文学という方法で立ち向かった夏目漱石。その満身創痍の一生は、その作品や発言も含めて、一つの奇跡と言える。漱石のいない近代日本は考えられないし、漱石がいなかったら、日本の姿は何と貧相に見えることだろう。作家・夏目漱石と、人間・夏目金之助、そしてそれを取り巻く時代には、近代日本の光と影、その輝きと闇が映し出されている。その煩悶と苦悩は、現代にまで揺曳し、そのレガシーは、日本を超えて、日本語を母語としない国々にまで広がりつつある。漱石は明らかに世界文学の一角にその地位を獲得しつつあるのだ。
 その漱石を中心に、人や時代、性愛や身体感覚、思想やメディアなど、11にわたるテーマをめぐって全797ものアイテムが300人近くの執筆陣によって展開される『漱石辞典』は、一つの奇跡に近い共同作業の成果である。アイテムの一つ一つが、明確なテーマ性のもとに漱石の全貌を浮き彫りにするピースとなっているのである。
 私たちはいま、荒正人の畢生の大作『増補改訂版 漱石研究年表』に加えて、漱石辞典の決定版の恩恵に浴することができるようになったのだ。何という快挙、何という偉業だろうか。